先般、武藤先生のコメントがNature系雑誌BritishDentalJournalに掲載されました。すでに2人の大先輩のお弟子さんからコメントが研究室内で発信されており私の出番はございませんが、皆様の議論について行きたいので、この場で取り上げさせていただきました。武藤先生が実に丁寧に数値根拠をあげながら矛盾点を指摘されておられます。
書いているうちに、科学者の見解と国連の決めた内容がこれほど違うかと驚いてしまいました。
今後の国際社会の大きな課題かもしれない、私の関心はそっちに行きそうです。
今回このテーマを取り上げるに当たって都内の大きな本屋や図書館で関連する書籍を探しましたが、歯科治療に関する専門書・科学系の入門書は(国家資格や超専門分野を除くと)極めて少なかったですね。意外にこの分野の入門書の執筆は穴場かもしれませんが、中級レベルの専門書が少ない分野のテーマの掘り下げはかなり厳しかったです。
アマルガム(Amalgam)とは
水銀を含む合金の総称というのが辞書的な解説になるが、歯科用になると虫歯の詰め物につかう金属の話になり、水銀50%+銀35%・スズ9%・銅6 %・亜鉛少々の合金を意味するらしい。
(私の奥歯にも入っている。かなり前に治療したものだ)
何が問題視されているのか?
環境省のサイトをのぞいて見て分かってきた。少し次のペーパーを引用しながらまとめて行こう。
https://www.env.go.jp/recycle/waste/mercury-disposal/h2803_guide3.pdf
2013年10月に「水銀に関する水俣条約」なる国際法上の取り決めが作られ、日本もそれに乗っかっているようだ。
・人や野生生物の神経系に有害な影 響を及ぼす
・だから世界的な取組による人為的な排出の削 減が求められている
・よって「水銀に関する水俣条 約 」が 採 択 さ れ て日本も従うことにした
・使わなかった歯科用水銀及び歯科用アマルガムに ついては、環境上適正な方法で処分する ことが求められている。
ここまで読んで私の疑問は1つ。
私の歯の中にあるアマルガムはどうしたらいいのか?
環境省の資料にはこう書いてある。
・水俣条約は歯科用水銀の使用そのものを禁止 するものではない。
・2013年9月に日本 歯科医師会が歯科用アマルガムの廃絶に取り組む見解が出た。
・ただし、すでに口の中にある口腔内にある歯科用アマルガムに つ い ては、 優 れ た 修 復 材 料で
あると考えられており、安定していることから、う蝕 の再発等が確認されない限り、原則として
除去 す べ き も の で は な い 。
環境省の答えは、詰め物が経年劣化しない限り、あえて取り除かなくてもいいと読める。
こうした中、国連の機関(UNEP:国連環境計画)が信じられないポリシー決定をし
amalgamを排除しようとしている話が出てきたとのことである。国連のレポートを見て行こう。
国連のレポートを読む
武藤先生が引用されておられる国連のレポートを見てゆこう。
20171年に国連(UN environment)から出された”Global Mercury supply, trade and demand" と題する水銀に関する精緻な調査レポートである。(以下、私の意訳・引用)
https://wedocs.unep.org/bitstream/handle/20.500.11822/21725/global_merecury.pdf
水銀に関する調査レポートとしては極めて高いレベルの情報収集作業を行ったレポートであるが
その4.6にDental Amalgam と称する項目があり、おおよそ以下のことが触れられている。
・WHOは健康上の理由から歯科用のアマルガムの使用の抑制に積極的に取り組んでいる。
・WHOは水銀が日々体内に入る経路の一つに歯科用アマルガムをあげている。
・歯科用のアマルガムを使用する理由は国や地域により色々だが、コスト面と容易な保管性によるところが大きい。
・水俣条約では、広く歯科用のアマルガム使用の抑制を唱えている。
・カナダ政府は、子供や妊婦へのアマルガムの使用を控えるように提唱。
・欧州議会も、水俣条約のもと、2018年7月以降、アマルガムの使用を禁止
・ECは2020年代半ばまでに欧州全体での使用を完全にやめることを決めるべきである。
このレポートでは、どれくらいのアマルガムが歯科用で使われているかは書かれているが、アマルガムそのものの人体への影響にはほとんど触れていない。
水銀=危険、アマルガム=水銀を含む合金、だから、アマルガムは危険ではないかという図式が見えてくる。
歯科用アマルガムは安全か、専門家の見解を読む
武藤先生のBritish Dental Journalに掲載された記事でも引用されているアメリカ政府のFDA(米国食品医薬局)の見解をみて見よう。
(米国FDAの見解要旨)
・成人および6歳以上の子供には、歯科用アマルガムの詰め物は安全であると断定し、臨床実験においても健康上の問題との関連性は認めれない。
・水銀蒸気の神経毒性に対する懸念として 発育途中の胎児・妊娠中の女性・6歳未満の子供に対する臨床データが限られているため、心配なら歯科医に相談して欲しい。
・ただし、歯科用アマルガムに起因すると考えられる母乳中の水銀量は極めて少なく、安全基準値をはるかに下回っているので、FDAとしては乳児が歯科用アマルガムからの水銀蒸気による女性の母乳中の水銀による健康への悪影響のリスクがないと結論づける。(私の引用・意訳)
わかったこと
・武藤先生は、国連等の国際機関による方針決定が歯科用アマルガムの使用禁止に動いてきていることに触れつつ、アメリカや欧州での専門家の見解では安全であることを丁寧に暴いて見せる。
・今回、私は先生が引用された同じ情報を理解することで、この矛盾を理解できた。
・なぜこんなことが起きるのだろうか?
私は、現代の国際社会が持つ構造的な歪みがこの背景にあると考える。
今回の情報収集の過程でUHC(ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ)という言葉を知った。この言葉は医療技術評価の分野でのテーマのキーワードだったが、この歪みが垣間見れたような気がする。
いやぁ、DEEPですねぇ。
ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(キーワードの理解)
以下UHCの解説を 保健医療科学 2013Vol.62No.5p.470-474
医療技術評価の政策決定への活用 ─ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ推進に向けて─
冨田奈穂子、白岩健 両氏の論文から引用する。
世 界 保 健 機 関(WHO)はUHCを「全ての人が,必要とする健康増進,予防,治 療,リハビリテ
ーションに係る保健医療サービスを,経 済的困難に陥ることなく必要な時に享受できる状態」と
定義し、UHCの基本理念は対象となる人や サービスの公平性を高め,家計を破綻させるような
非常 に高額な医療費負担を減らすことにあり,財政リスクの 軽減や,富の再分配としての機能
を持つ.世界では医療 費の支払いにより,毎年,1億5千万人が経済的困難を 経験し,そのうち1
億人が貧困に陥っているとみられて いる [3].こうした経済的理由による受療機会の制限や, 受療
による貧困化を防ぎ,人間の安全保障を確立するた めの手段として,UHCの実現が望まれてい
る.(引用終わり)
実に最もらしく、美しいことがWHOで謳われているが、今回の武藤先生のご指摘は、こうした美しい宣言のもとで、自己矛盾を起こすような歪があることを教えていただいたように思う。
判断を人間に任せることには限界がある、そしてそれは特定のグループにとっての利益が優先されてしまう傾向がある。
今後は、この国際機関による美しい宣言と現代社会の構造的な歪について、社会課題として取り上げて行きたい。最近の国際社会は、アメリカが主導したグローバリズムの反動が顕著に現れている。その結果、今後はナショナリズムの台頭、民主主義の衰退、勝ち組による独占のもと、国際機関の方針と運営に大きく左右されていくだろう。科学はその解決のために使われないといけない。