武藤先生の論文の中に出てくる次の文章
"Deep leaning and ensemble machine leaning lie in inductive methods"
(ディープラーニングは帰納法である)
今回はこの意味の理解に挑戦してみよう。
論理学の中での演繹法と帰納法
この部分は 狩野光伸著「論理的な考え方、伝え方」(慶應大学出版会)P39,P119より引用
両方とも、考え方の組み立て方です。簡潔に説明すれば、演繹法は「すでに存在する理論や公理に基づいて、観察事実が説明できるかどうかを考える」議論の進め方です。
一方、帰納法は「多くの観察事実から、理論や公理を新しく考え出す」議論の進め方です。
演繹的な議論のやり方(deductive argument)
まず、演繹的な議論とは、「前提根拠が正しい」ならば「自動的に主張は正しい」という考え方で
次の特徴を持った議論の進め方です。
・先に法則・定理などが存在している
・新規の知見にこれが当てはまるかどうかを確認する
・正誤はわかりやすい
上の狩野氏の著書の例をそのまま引用します。
前提根拠1: 全ての哺乳類には心臓がある
前提根拠2: 全ての牛は哺乳類である
主張 : 全ての牛には心臓がある
機能的な議論のやり方(inductive argument)
次に、それと比較すべき帰納的な議論では、
・まずは、たくさんの観察事実が目の前にある
・これから、どんな一般化した、法則、定理などができるかを考える
・法則がないときは、この思考法しかない
上の演繹法と比較するため、帰納法のやり方で同じ例で議論を進めてみると以下になります。
前提根拠 : 全ての牛には、心臓があると観察された。
主張 : 全ての牛には心臓がある
2つの議論の違い
どうですか、かなり議論のやり方が違いますね。
演繹的な議論では、主張される内容は、前提根拠の内側(基本的に前提根拠の中)にすでに含まれています。ですから、演繹的な議論は、正解がすでに決まっているために評価や判断がやりやすい議論のやり方、そもそもの前提根拠で展開される法則の補強・強化でしかありません。
一方、帰納的な議論では、最後に展開される主張はそうではありません。帰納法の中で主張される主張は、前提根拠の内容を越えたものになるという点が違います。ですから、帰納的な考え方には必ずしも正解が明らかでないという状態です。
データの観点から、この2つの議論の違いを整理してみると(ここもP120引用)
既存の一般論から期待されるデータを求める(演繹的手法)
実際のデータから推定される一般論を求める(帰納的手法)
執筆中、後半はDeepLeaningが帰納法であること、今後の議論では演繹的な議論と帰納的な議論の組み合わせが必要であること、AI=DeepLeaningとする主張には限界があることに触れて行きたいと思います。